数か月前に海外旅行に行った時の話なんですけど。
飛行機に乗ってエコノミークラスに座って4時間のフライトの後、空港に着いたんですよね。
そして通路を通って前方の方に歩いていった時に、ハッとしました。そこにはゆったりと横になれるような半個室的な席。ファーストクラス?ビジネスクラス?
どっちか分からないですけど、4時間のフライトでほぼ休めなくて疲れていた私は純粋に「この席がいい」と思いました。
そしてこれは後から思ったことなんですが、これまで私はどっちみち移動するだけなのだから「エコノミークラスでいい」と思っていたこと。でも実際に海外旅行に行ってファーストクラスを目の当たりにした時に「ファーストクラスがいい」と思ったんです。
日本語で言うと、「で」と「が」の違い。分かりますか?
エコノミークラス「で」いい、という言葉の裏には、本当はファーストクラスやビジネスクラスがいいけど、そこまでのお金は出せないから、またはコスパ的にはとか、移動だけなのだから「エコノミークラスでいい」となっちゃってたんです。一種の妥協。
ファーストクラス「が」いいというのは、本当の自分の心が感じていること、望んでいることだったんです。
この「で」と「が」って、普段私たちが生活しているうえで何気に使っていることが多いと思うんです。でもこの差ってものすごく大きくて。
「年収500万円でいい」とか「カップラーメンでいい」とか。
いやいや「年収2,000万円がいい」、「高級ステーキがいい」とか。
単純に価格が高いからいいという訳ではなく、自分の本心がどう思っているのか、何を本音では望んでいるのか。当たり前ですが、自分の本心で思っていることが実現すると人は幸せを感じます。
妥協することが悪いと言っているわけではなくて。
ただ一度きりの人生を、すべて「〇〇でいい」という選択をしてしまうのが純粋に勿体ないと思ってしまうんです。
もちろん「〇〇がいい」ということは、今はなかなか手に入らない、実現しにくいものばかりだと思うんです。でもなかなか手に入らないからこそ手に入った時の喜びは大きいし、その価値も高いと思います。
すべての「〇〇がいい」ということは叶わないかもしれない。でも10個のうち1個でも「〇〇がいい」ということが叶ったらそれはそれで素晴らしい。
子供の頃は純粋に「〇〇がいい」を追いかけていたのが多かった気がします。でも大人になって色んなことが分かり過ぎて「〇〇でいい」という気持ちが増えてきました。
ただ、忘れてはいけないことは、この人生、「〇〇でいい」という生き方をしても、「〇〇がいい」という生き方をしても、どっちにしても1回きりなんです。それならもっと自分の心のありのままに生きたいです。他人からどう思われるからとか嫌われるからとか関係ありません。
「自分はこれがしたくて、こんな人生にしたいんだ」
その純粋な思いももっと大事にしても良いのでは。最初で最後のこの人生なのだから。どっちを選ぶかは完全に自分で決められる。だから自分にとってワクワクするような生き方をしたいですよね?
たった一度しかない人生。これまで妥協してきた自分から一つでも「〇〇がいい」という人生にした時。その時に本当の自分らしさを発揮できるのではないでしょうか。
あなたのあなたにしかない「〇〇がいい」という人生を応援しています。
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