私たちが普段生活している中で当たり前に感じていること。それらがすべて間違いだと知ったらあなたはどう感じるでしょうか。
学校や会社で良い成績を挙げたり、良いパートナーに巡り合えたり、大成功してお金持ちになったり。
人間社会で生きていればそういうことは当たり前に「良いこと」として解釈されますよね。
人間は意味づけする動物なので、何かの出来事にいい意味や悪い意味を付けたがります。
誰かに良く思われたいとか好かれたいとか、高い評価を得たいとか。
それらを得たら自分の存在価値を感じられると思ってしまいがちです。だから逆に外側からの評価が得られなかったら自分には価値がないと思ってしまいます。本当にそうでしょうか。
誰もが生まれたばかりの時は何もできないです。それでも生まれたばかりの赤ちゃんに向かって、この子は価値がないと思うでしょうか。
何ができてもできなくても価値があった。それが歳を重ねるごとに何かできないと価値がないという観念を、この人間社会で受け付けられただけなんですよね。
人間だから人間社会に都合の良いように判断されているだけで、それ以前に生命としての価値は生きているだけであります。
石ころとイーロンマスクも全く同じ価値なんです。
もちろん私たちも等しく同じ価値。
この考えがあると、自分の価値を証明する行動をする必要がなくなるので、途端に人生が楽になります。
誰かに傷つけられたり、悪口を言われたときに怒りを感じるのも、他人の言動で自分の存在価値が下がると勘違いしているから。
私たちの価値は外側の状況や他人の言動で1ミリも下がることはありません。生きている限り等しく存在価値があるんです。
その存在価値を感じたうえで、人間社会での価値基準でのゲームを楽しめばいいんです。
人間社会での価値は単なるゲームで、価値ある自分が人間社会での価値のあるなしを没入してゲームを楽しんでいる。ただそれだけなんですよね。
あなたはゲームでお金が増えたり減ったりして実際に自分の価値の増減を感じますか。多分感じないでしょう。ゲームだと分かっているから。
結局万物は同じ価値で、同じ価値がある者同士で争うことの滑稽。ただそれもゲームだから楽しんで良し。
自分がネガティブな感情を感じた時に、自分の内側が感じていることをじっくり観察してみてください。きっと、突き詰めると「自分には価値がない」と思っていることが原因だと分かるはずです。
私たちは長い人間生活の中で、条件付きでしか自分には価値がないと思っています。自分に何か引っ付けないと価値がないと。
そもそも何もつけずに生まれてきたのに。
ありのままで価値がある。バラはバラのままで価値があるし、ひまわりはバラになる必要はないです。私たちもオリジナルな私でいればそれだけでいいですし、たまに自分には価値がないと感じるゲームに没入してもいいんです。
そして気付くでしょう。
人間社会は「自分んは価値がある」と証明するような行動・言動に溢れていること。それからいち早く抜け出して、自分の好きなタイミングでゲームに没入することを選べるのも楽しい人生なのかもしれません。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

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